年 |
歩み |
1947年 (昭和22年)
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児童福祉法制定
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1949年 (昭和24年)
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三浦豊氏と長男洋一氏は、六男八水氏へ児童福祉への事業参画を薦められ、目的達成の為、郷里の家・田畑を提供する決意をした。
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三浦八水氏(当時19歳)鹿児島県三州原少年学園 (精松園長)のもとで共同生活研修実施。
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1950年
(昭和25年) |
少年試験観察事業「愛隣園」として創立。
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熊本県家庭裁判所から委託を受け15歳~18歳までの 少・青年男子と山林田畑の農業開墾を行い、有志職員と 寝食を共にしながら社会で正しく生き抜く力を育む事を 目的とする事業として始まった。 (昭和29年3月までに52名の青少年たちが巣立って行った)
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第一回クリスマス会「九州学院高等学校生徒」のボランティア訪問を受ける。
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創設当時の
園舎
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1952年
(昭和27年) |
現名誉理事長三浦牧子が島津岬牧師の導きにより 鹿児島県指宿市より三岳の地「愛隣園」へ。
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1953年
(昭和28年) |
永井円信先生と三浦八水園長が 「運営の理念」を「愛隣園の歌」に託して作詞。
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1954年
(昭和29年) |
児童福祉法による「養護施設」に事業変更(定員30名)
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町村合併により鹿本郡三嶽村津留が「山鹿市津留」になる。
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1956年
(昭和31年) |
園舎を増築、(定員50名)に変更。
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社会福祉事業法に基づき「社会福祉法人」を組織し 法人名称を「愛隣園」とする。
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1960年
(昭和32年) |
初めての食堂が完成。 (H16よりコミュニティホール愛隣園)
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1961年
(昭和33年) |
児童野球チーム「施設球技九州大会」初出場。(鹿児島)
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1965年
(昭和40年) |
児童棟を新築。 (初めて全児童が児童ホームに居住できるようになる。)
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1972年
(昭和47年) |
児童及び事務棟2階建を新築。 (小規模グループホーム・グリーンハウスとしてH16改築。)
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1978年
(昭和53年) |
職員寮を新築。 (小規模グループホーム・オレンジハウスとしてH16改築。)
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1978年
(昭和53年)
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初代社会福祉法人理事長参議院議員となる。
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1981年
(昭和53年) |
農事組合法人「愛隣農園」設立。 (20年ぶりに米作りを再開する。一町二反)
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1983年
(昭和55年) |
新食堂ホールの完成。(H16よりレインボーハウス)
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1984年
(昭和59年) |
軽費老人ホーム「愛隣荘」新設。(定員50名)
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1988年
(昭和63年) |
身体障害者療護施設「愛隣館」新設(定員50名→現定員70名)
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1992年
(平成4年) |
児童ホームを全面建て直し新築。 (現ホワイトハウス・4ユニット)
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1993年
(平成5年) |
特別養護老人ホーム「愛隣の家」新設。(定員50名)
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1994年
(平成7年) |
社会福祉法人愛隣園評議員会設立。
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1997年
(平成9年) |
児童福祉法の改正により 「養護施設」から「児童養護施設」に改称。
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1999年
(平成11年) |
児童バレーボールチーム「施設球技九州大会」初出場。(佐賀)
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2000年
(平成12年) |
「児童虐待防止法」施行。
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2004年
(平成16年) |
児童養護施設愛隣園が50周年を迎える。
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「愛隣の家」グループホーム事業を開設。 (認知性高齢者の方々のために)
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職員寮・事務棟を小規模グループホームに改築。
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2005年
(平成17年) |
鹿北町・鹿本町・菊鹿町・鹿央町・山鹿市が一つの市に合併。 (新市名山鹿市)
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2006年
(平成18年) |
児童養護施設愛隣園グループホーム(小舎制による運営)開始。 個室率60%達成
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心理面談・ファミリー面談ルーム(いこいの部屋)完成。
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2007年
(平成19年) |
地域小規模児童養護施設(彦岳ハウス)定員6名
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2009年
(平成21年) |
『児童の代替的養護に関する指針』国連採択
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2013年
(平成25年) |
児童養護施設愛隣園(本体定員を10名減らし40名)とする。 個室率90%達成
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小規模住居型児童養育事業(定員6名) ファミリーホーム『森の家』創設
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2019年
(平成31年)
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地域小規模児童養護施設(てお杉の家)定員6名
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児童養護施設愛隣園小規模化に伴い本体施設定員を30名とする。
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2023年
(令和6年) |
小規模グループケア5カ所目開始(定員6名)
個室率100%達成 |